プロ野球阪神、大毎(現ロッテ)の強打者として活躍した田宮謙次郎(たみや・けんじろう)さんが2010年5月5日、脳内出血のため死去した。82歳だった。 旧制下館商(現下館一高、茨城)から日大へ進み、1949年に投手で阪神に入団。1年目に11勝を挙げたが、翌年は1勝に終わり、その後、打者に転向。1958年に打率3割2分で首位打者になり、新人だった長嶋茂雄(巨人)の三冠王を阻んだ。1959年から大毎に移籍し、1963年に引退するまでプロ15年間で通算1488試合に出場、1427安打、106本塁打、打率2割9分7厘を記録した。 1970年に東映(現日本ハム)の代理監督になり、翌年から監督を務めた。阪神のヘッドコーチ、OB会長や台湾プロ野球の味全監督なども歴任し、2002年に野球殿堂入り。2000~2003年には地元・茨城県下館市(現・筑西市)の市議会議員を務めた。 |
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Author:Kio
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